| 1989 |
chako と makoto hattoriによってJACK OR JIVEを結成。 |
| 1990 |
カセットテープ 「EXPATRIATION」を発表。(46分テープで全9曲入り。) 大阪の輸入レコード店にて委託販売を始める。 そんな最中、輸入レコード店の取引先でもあるドイツのDOMレーベルにこのカセットテープが送られていた。 DOMの新レーベルDOM ELCHLANGの第一弾としてレコードを出さないかと連絡が届く。 カセットテープをそのままレコードにしたいと申し出されるがあまりにも粗雑な録音だった為、新たに曲を作り それをアルバムにしたいと連絡をする。 そんな形でJACK OR JIVEがドイツへと渡るきっかけの年となった。 1st アルバムの録音がこの年にされる。 5月には、京都嵐山の五木茶屋(五木ひろし経営のだんご屋)の近くで、生楽器を持ち込みゲリラライブを行う。 |
| 1991 | 1st CD 「PRAYER」を発表。全8曲入りで、アナログシンセとノイズ小道具を素にシンプルな録音だった。 この年は、2ndアルバムに向け新たに録音を始める。地元のバンド仲間に誘われて1度だけライブを行った。 |
| 1992 | 7inch single 「(DURA)2 DU 」を発表。 5月にドイツへ訪問。THE LEGENDARY PINK DOTSの前座としてライブを行う。 この時、chakoが食中毒でぶっ倒れたがライブ前日には無事復活。 この食中毒事件をきっかけにCHRISTOPH HEEMANNとこの時出会い、”Seclusion”というバンドを結成。 日本に帰国する直前に録音。 12月に2nd CD 「無常」 を発表。全9曲入りでデジタルシンセを中心にアナログ的な世界を醸し出した作品になる。 |
| 1993 | 6月に ”Seclusion” で録音された曲「雪が降る」がスイスのレーベルより発表。 ミュージシャンの間でちょっとした話題になったアルバムでもあった。 この年、ポップな作品とヘビーな作品を分けたアルバムを出す案が生まれ、バンド名にLightsをプラスし JACK OR JIVE Lightsというバンドで録音を始める。 |
| 1994 | 1月に京都アザーサイドにて ”神楽” ライブパフォーマンスを行う。 歌はその日即興で歌われたが、完成度が高かった為、ライブレコーディングそのままアルバムにして出す話がまとまる。 4月に 3rd LIVE CD「神楽−LIVE IN KYOTO−」を発表。 5月にドイツ訪問。JACK OR JIVE LigthsのMAXI-CD 「A PICTURE OF DANCER」の為のビデオクリップ撮影を行う。 撮影は2日間で朝から夜遅くまで行われた。 数日後に単独ライブを行う。アーヘンの美術館地下のホールで立見席も完売し、盛り上がる。 7月にMAXI-CD 「A PICTURE OF A DANCER」を発表。 11月にFULL ALBUM 「A SOLO EXHIBITION」を発表。 chako solo album の録音を始める。 |
| 1995 | 1月阪神大震災が起る。利用していた神戸市の横の西宮市で利用していたスタジオも崩壊してしまった。 ちょうどsolo album のミックスをと思っていた矢先の大事故だった。精神的にも酷く落ち込んだ年である。 震災後すぐにピーターグリーナウェイ監督と会談。 夏から、友禅作家 井上清造氏の総合舞台 「天極楽」の総合音楽を担当することになり、作曲にとりかかる。 11月に自宅兼スタジオを建築。献花のレコーディングを始める。 12月に「天極楽」の舞台が行われ、chakoも舞台で歌う。 それぞれの分野で活躍している井上氏の気の合う仲間が勢揃いし、視覚的におもしろい舞台に仕上がっていた。 |
| 1996 | 2月に chako solo album「ebb&flow」を発表。個人的な思い出深いイメージを基に作られた作品。 また、悲しみの色で埋め尽くされた献花のレコーディングとミキシングに追われた1年だった。 |
| 1997 | 1月に4th CD 「献花」 を発表。このアルバムをきっかけに所属していたレーベルと連絡トラブルに見舞われる。 フランスのPRIKOSNOVENIEいうレーベルからアルバムを出したいとプロポーズを受けるが、 ドイツのレーベルとの間で悩んだ1年でもあった。 この年chakoが CHRISTOPH 宅へ遊びに行く。 レコーディングは出来なかったものの、次回作品の”Seclusion”について話し合う。 |
| 1998 | フランスのレーベルの気持ちに胸を打たれ、同レーベルより MAXI‐CD 「TIDAL CURRENT」を発表。 PRIKOSNOVENIEオムニバス「IRIS」に3曲参加する。 10月にドイツミュンスターにて単独ライブを行う。滞在期間は6日程だったのに、chakoが風邪を引いてしまい、 ライブを止めるようにCHRISTOPHからも言われるが、完全お断りし神がかりで熱もライブ当日に下げてしまった。 声に苦しそうな雰囲気が残しつつも、後半になればなるほど完全に歌いきっていた。 12月オペラ歌手の山元法子氏より、創作オペラ”湖の孤影(うみのこえ)”の作曲の依頼を受ける。 初めての日本語でしかも畑の違うクラシックの曲作りに不安と期待で胸が膨らんだ年末だった。 PRIKOSNOVENIEオムニバス「BELLADONNE」に2曲参加する。 |
| 1999 | 5th CD 「地−THE EARTH−」を発表。 PRIKOSNOVENIEより「無常」が再発。 オペラの台本も決まり、作曲にかかってゆく。打ち合わせに滋賀県へ往復する機会も夏ぐらいには活発になった。 10月にドイツ アーヘンとハーナウの2ヶ所で単独ライブを行う。 アーヘンでは古びたジャズクラブで、ハーナウでは街中の静かなクラブで行われた。 熱狂的ファンが殺到し、ライブ終了後はCDジャケットへのサインでchakoは休む暇もなかった。 また、CHRISTOPH HEEMANNとのユニット”Seclusion”の 2ndアルバム用の曲を録音する。(リリースは未定) 12月15日に滋賀県立芸術劇場びわこ大ホールにて「湖の孤影 - Legend of BIWAKO -」が公演された。 オペラホールとしてはとても素晴らしいホールで、客席には1400人もの人が詰め寄せていた。 曲の評判も賛否両論でおもしろい。オペラ歌手にクラシックにはない世界だったと言われた。 また、ある人は癒しの音楽と言っていた。 原作者・総監督でもあるオペラ歌手の山元法子氏は、ご病気の為舞台に立つことは出来なかったが、 今回の舞台の成功を喜んでくれた。 12月24日PRIKOSNOVENIEより「PRAYER」が再発。 |
| 2000 | 2月神戸ファッション美術館内オルビスホールにて、井上清造氏の個展会場でパフォーマンスを行う。 個展開催期間中のバックの音楽は、この日の為に制作。 オペラ 「Legend of BIWAKO」の編集に取り掛かる。 WHITE RABITレーベル設立第一弾として 10インチレコード 「逆行−GYAKKOU−」 の編集に取り掛かる。 同時に 6thCD 「縁−KISMET−」 のレコーディングを開始。 7月 SKYPrefecTV! 749ch VaioNet 「ドリームキャッチャー」の香港編にて 1stCDから”FOR CHILDREN'S FURURE” が挿入歌として使用される。 10月25日PRIKOSNOVENIEより 6th CD 「縁−KISMET−」がリリース。 12月2日姫路Betaにて光学姉妹とのコラボLIVEで年内のLIVEを締めくくった。 VJという映像とのコラボは非常に興味深く、同時に観客からの感動の嵐の声が響き渡った。 12月8日 lowlifeレーベルより LPオペラ 「Legend of BIWAKO」がリリース。 12月20日 WHITE RABITレーベルより 10インチレコード 「逆行−GYAKKOU−」がリリース。 |
| 2001 |
2月VJグループ光学姉妹とフランクフルト空港へ待ち合わせし、ドイツ公演2ヶ所を行った。 8日にNUERNBERGの古城で、10日はWIESBADEN駅構内の旧レストランだったと言われるスペース。 今回はフランスからのファンとの出会いや、ドイツ雑誌社との久々の再会など時間は少なかったが 充実した時間が持てた。 しかし、光学姉妹の機材の重量問題を軽視していた私達は、彼等にオーバーウェイトで迷惑を掛けてしまった。 光学姉妹の即決力には頭が下がる。色々あったLIVEだが、とても貴重な経験だった。 5月イタリアのバンドGORとのコラボ制作の話が持ち上がる。 同月フランスのバンドLYSとのコラボの制作の話も持ち上がり、最終的には、 6月末にPRIKOSNOVENIEオムニバス「BELLADONNE2」に コラボも各1曲収録され、計3曲リリース。 |
| 2002 | 3月23日台湾のZEITGEIST にて単独LIVEを行う。初めての国外アジアLIVEだった。 前日には誠品書店(レコード店)にてインタビュー会見があり、盛況に終わった。 5月26日東京のシアターX(カイ)にて特殊メイクアーティストであるタムラノボル氏の 『発想工塾』が開催され、ゲストパフォーマンスとしてLIVEを行う。 イタリアのバンドGORとのコラボ制作を本格的に始める。また、新作の録音などを編集。 9月8日台湾にて行われたFORMOZ FESTIVALに参加。出発日に台風で飛行機が飛ばず LIVE当日の台湾入りの超ハードスケジュールだった。 12月末にGOR+JACK ORJIVEのコラボアルバム「Soleil」 をリリース。 7th CD「TOWARS THE EVENT HORIZON」をリリース。 |
| 2003 | 2月10日から2日間イタリアのミュージシャンALIO DIE宅を訪問。 彼のスタジオにてコラボレーションアルバム曲をレコーディングする。 2月14日ドイツのマインツのSCHICK&SCHONにてLIVEを行う。 スペイン雑誌のインタビュー、付録CDに1曲提供した。 4月からアルバム"LIFE"の編集に取り掛かる。 12月6日香港の牛棚芸術村にてLIVEを行う。会場には予定人数をはるかに上回る200人が詰め掛けた。 |