SECRET "模倣と創造"
by JACK OR JIVE


makoto いつもSECRETのコーナーでは、何を話そうかなぁとテーマが決まるまでがなかなかで困っとったんやけど、今回はお題を戴きまして『模倣と創造』ということで話ましょう。
要するにオリジナリティーについてなんやけど、最近の特に日本の音楽やったら、リスペクトすると言う表現を使ってパクったりすることがごく自然と行われるよね。
えっと、昔から洋楽を聴いてきたボクとしては、やっぱり聴き苦しい所があってね、そこの所で最近読んだ『目隠しジュークボックス』というの本の中で”ピールセッション”のジョン・ピール氏が、『”スミス”のようなバンドのどこが凄いのかと言えば、彼らの音楽を聴いて、彼らがどんな音楽が好きなのか分からないという所だ。』と書いてたなぁ。その海外のミュージシャンでももちろん”誰々に似てる”というバンドも沢山あるねん。けど、中にはそういう事を感じさせないバンドがあるということなんよ。彼らのオリジナリティーについて、どう思います?

chako 確かに" ミスチル " を聴いた時、" エルビス・コステロ"に似てるなぁ〜と思っとたら、ビデオクリップではコステロのジャケット写真そのものが動いてたから、びっくりしたわ。そもそも彼らも誰かによってこうしたクリップは構成させられて演出させられたと仮定しても、断るべき演出やと感じたよ。
今は、昔に比べて歌謡曲も自分で作って自分で歌ってという作詞作曲を全部他人任せにせず、歌を歌うミュージシャンは増えたものの、この引用技術はプロではないわけやから、昔からの自分のアイドルのサウンドは消化不良でもろに出てくるんとちゃうかなぁ。
特に思うのはギターサウンドに惹かれて、ギターを買ってきた少年が最初に弾くのは、やっぱり自分が好きなミュージシャンの曲やと思うしね。それと同時に一度は”禁じられた遊び”も弾くわな(笑)。そんな感じでまず自分が最初に触れた楽器で弾く音と言えば、誰かの曲やねん。結局その鍛錬の積み重ねによって、技とかそういう方向に走りオリジナリティーを軽視してしまい、どこかで聴いた音になってしまう要因は十分にあると思うんよね。

makoto ”チューリップ”というバンドが昔いてたんやけど、彼らはビートルズが凄く好きなんやけど、ほのかには匂ったりはするけど、ボクにとってはモロパクりではなかったんよ。彼らはどんな風にすればビートルズみたいな曲が出来るやろうって考えたあげく、コード進行をビートルズと一緒にして作ったらしいんよ。全ての曲じゃないけどね。まぁこういうアイドル消化の仕方ではあるんやけど、彼らがほのかにしか匂わなかったというのは、やはりオリジナリティーなメロディーはあったと思うねん。その点、奥田民夫の曲はモロにフレーズまで出てきてたから笑ったけどね。彼が音楽トーク番組に出ていた時、『アルバム製作の中で、この曲は80%の出来だけど、期限が来てるし出しちゃえーみたいな感じで出しちゃった』とか言うてたんよ。それだけ締め切りという期限が絶対という事で、もっとじっくり作らせて下さいって言えないぐらい、音楽業界そのものが商業主義にどっぷりつかっていて、模倣のプロセスを感じずにはいられなかった。

chako まぁ職業になってしまうと、金がどうしても絡んでくるから、対応はビジネスタッチになるんとちゃう?80年代の半ばには日本でもインディーズブームにはなったけど、結局はメジャーへの踏み台にしか過ぎなかったし、若いミュージシャンはお金ないかならなぁ。ちょっとおもろいなぁと思えるバンドはみんなインディーから離れてメジャーデビューしてもたし。あの時は一種独特な雰囲気はあったよ。まぁ同時に海外のインディーはもっと凄い勢いやったけどね。今ライブハウスにそんな奇妙なバンドもいてないし、健康的でロマンティックでそれでいて暴力的でって絵に描いたようにみんな素直やで(笑)。ひねくれた部分そんなにないからなぁ。『オリジナリティーってなんですか?』と逆に聞いてくる子達多いと思うで(笑)。

makoto 昔な、作家が人でなしやと思われてた時代にな、二葉亭四迷という人がおって、作家になりたいっていうたら親に勘当されてん。お前なんかくたばってしまえーって言われて、二葉亭四迷にしたんやけど(笑)、戦後になって作家が先生先生と呼ばれるようになって、作家の持つ危なさとか怖さとかが消えて行ってしまったような気がする。昔は、エレキギターを持っているだけで不良呼ばわりされたロックも、今はまるでテニスかなんかのように健康的な感じがする。ライブハウスとかも危険な匂いなんかもいっこもせーへんし、そうじゃなくってなんか世の中に出ていてもまだジャンルとして確立されていないものこそ、危険な香りを孕んでいて、そのコアにこそオリジナリティーが潜んでいるんじゃないかと思ってるねん。

chako 結局は最初になんかを生み出した人って自分の中の発見としての喜びはあるねんけど、それからそれを誰かに触れさせようとする作用が働くねんな。だけど最初の一歩を踏み出した足跡を分かる人間ってごく少数なんよ。やっぱり最初に見つけてくる人間の感受性ってすごいものがあるわけで、ARTの世界ではART BRUTのジャン・デュビュッフェなどにも通じるものがあってね、それを広げられる知名度もまた必要なわけよ。彼が推し進めた"生の芸術"なども日本では今頃ようやく広がりつつはあるけど、まだ知名度は低いしね。だから、デュビュッフェのように表現する側が知識もなく技量もなくても作品に力があれば素直に評価してしまう感性こそが本当の芸術に楽しめる人やと思うんよね。うんちくだけが先行してしまうARTの感受については、予幅が少ない人とも感じるわ。余談やけど一般社会においても同じことが言えるのね。後から入ってきた才能ある若者を潰しにかかる先輩など、認めちゃうと自分の立場弱くなるもんなぁ(笑)。でも才能あれば素直に認めるべきやし評価すべきことなんやけど、どうしても自分の立場も危うしっ!って感じで、そんな人間関係なんか実際に多いにあると思うわ。一般的に理解不能になると拒絶してしまう心の作用は感性の欠如の表れでもあるわけで、じっくり観察してみたら色々分かると思うんよね。ええ部分も悪い部分も。まぁ受信者側にもそれぞれ問題はあるものの、作品提供する側にはもっと重大な責任があってね、作品っていうものは形となれば遺品の如く生涯残る怖さを知らなきゃいけない。近頃本当に痛感するのは表現者側の責任のなさなんよ。やりっぱなし、だしっぱなしでそれが力一杯ですか?とも思えるほど受信者側をなめた作品が多すぎるねん。受信者側には時に恐ろしいほどの感受性を持った人間も一杯いてるから、作品と伴わないうんちくなど言うてたらつっこみの連打されることになるんよね。今は日本のミュージシャンは過保護にされてるから誰にも何にも言われへんけど、その代わり使い捨てライターみたいに用事が終わったらゴミ箱行きやしね。ここらへんで表現者と取扱者の信頼関係の希薄さもにじみ出てるんよ。本来オリジナリティーというものがあれば、作品の中で展開される絶頂や低下などは表面的な流れにしか過ぎないはずだし、形も変貌を遂げるのは自然なわけ。やっぱりオリジナリティーは時代がたっても風化はせえへんと思うねん。オリジナリティーのなさはこの時の流れの中で見事に化けの皮はがされてしまうから、表現者は時間というものを決して惜しんだらあかんと思うねん。

makoto そうやねん。でもそこでただやみくもに時間をかけたからオリジナリティーをつくれるかといえば、そうやないと思うねん。そやから、いよいよそれやったらほんまのオリジナリティーになってくる。先に出したチューリップにはビートルズの匂いはするけど、スミスのようにそんな匂いをさせへんバンドもある。そのオリジナリティーの違い。結局KILL YOUR IDOL出来ているかどうかという事になってくる。そのKILL YOUR IDOLという曲を作ったソニック・ユースがピールセッションで、フォールの曲ばっかりやってたのは笑えたけど(笑)。それはさておき、創作の現場でどれだけ頭を真っ白に出来るかという事じゃないかな?

chako 頭が真っ白?

makoto 好きな音楽スタイル、あるいは固定観念、流行などを抜きにしてまず音と戯れるところから始めるべきなんじゃないかなぁ。スウェル・マップスが昔出してた『WHATEVER HAPPENS NEXT・・・』という未発表音源を集めたレコードにはそんなメンバーが音と戯れて自分たちのスタイルを築き上げて行った過程がよく現れていたんよ。とてもおもしろかったけどね。

chako そもそも自分の才能を認識する時どういう風にして皆認識してると思う?周りから絵が上手いねーとか歌が上手いねーとか外部からの賛美によって俺って才能あるんかなぁ?と自意識し始める人が多いよね。また別格に俺様は天才だぁ〜!と誰の賛美を受けなくても自我が芽生えているおめでたい人もいるけど、そんな人はごくわずかよ。自分の才能の自覚の前には必ずその表現の中で自分の居場所はあるわけよ。現実的生活の中とは別の特別に存在する場所かな。その中でまだ初期の段階では楽しい〜って感じでまるで落書きの如く徒に描いるのよね。そこから自分を見つめる機会に出会い、戯れから何かを察知するわけ。周りからの賛美とは違う自己内面的なものかな。この作業は当然あってしかるべしだし、これをなくしては表現者の道は選ばず本当の趣味に留めておいたほうがいいぐらい。戯れの後に来たすものは自己内面の発見とそして格闘なわけで、向き合い続ければ必ず自分を危険な方向に時に向かわせる事にもなるわけ。過去の表現者で自殺してしまった芸術家なども多いのはこの当たりが占めているようにも思えるのね。だけど、今この時代になってこれほどまでにはっきりと商業主義が確立された上で、一体誰がこの自己と向き合う厳しい作業をすると思う?なかなか好き以上のものを自覚していないと出来ない。強い意志はもちろん必要だし、日常生活よりももっと厳しいものがそこにあると感じずにはいられないんよ。楽しいと感じている間はオリジナリティーなどの自覚もないし、その過程の中で心地よさとか楽しさという感覚から抜け出した後の感覚がどうなのか?これがとても重要だと思うのね。趣味に留めるか生涯貫くかの岐路がはっきりと自覚せざるをえない。だから戯れることはその予兆であって、この大切さは次に向かうべき扉みたいなものの前に立つ準備のようにさえ思う。
表現している過程においてはみんな一生懸命やってると思うねんけど、イコン画のようなものは別格として、技量を重んじるばかりに知らぬ間に作者の心が置き去りにされている作品が近頃は多いように思えるのね。現代美術などは完全にトーンダウンだし、見てパッと視覚的な印象もなく、手渡された解説を読んで『なるほどなぁ・・・こんなことが言いたいんか』と表現者のメッセージに触れる間接的受信の方法は、触れる者としては憤りすら感じるわ(笑)。生の芸術を知ってしまってからは、少々キツメの現代美術を観ても魂までなかなか響かなくなったよね。この点やはり理屈ぬきにガツンとやられた痛さは視覚に残ってるもんなぁ。ART BRUTの世界は別格としてもあの世界でまざまざと魂に刻み込まれた要素は、描かずにはいられないその衝動さなんよ。この衝動は心の衝動なわけで、考える知性の働きとは逆行してるのね。衝動的な表現の素晴らしさは絵の世界で刻まれたけど、やはり音楽の衝動はなかなか確立しようとは普通は思わないもの。感覚の部位によって、人には得意分野があるわけで、自分の得意とする分野で活躍し、また受信側もその感覚の得意な分野を求めようとする、こうした関係はこれからも続くわけやからなぁ。
わたしが創造している中では、感覚的には衝動やな。人は悲しくなったら泣くやん。あれに近いわ。音を聞いてぐぉーと来たら勝手に出てくるねん。それは意識的にこの音を出そうなどはないなぁ。ベースに流れる音源でする戯れの中での発見にしかすぎないし、そんな考えて作ったハーモニーじゃない。だけど日常生活において、感じられた事柄によってこうしたハーモニーが出てくる不思議さは今でも自分自身謎なんやけどね。まぁ死んでもこれは分からんと思うわ。少なくともわたしの意識の中にこうした衝動的なものを基盤に作った音楽もあってもいいと思うので、ただただ今は作っているけどね。

makoto 確かに真のオリジナリティーを求めた場合は、アウトサイダーアートの方法しかないと思う。日本ではただそういうオリジナリティーに重きを置く人の割合が極端に少ないと思われるけど・・・。はっきり言えば「みんなオリジナリティーなんてどうでもいい、作品さえ良かったら。」っていうもん。そのへんが日本人の物を真似る文化の現われなのか、抵抗がないみたい。でも時が経てばオリジナリティーのあまり無い物は当然淘汰されていくように感じるわぁ。

chako オリジナリティーというのは本来は個性なわけやから、オリジナリティーの意識のなさはここへと結び付くからね。個性的なものが重宝がられながらも、世の中の動向は全く逆の容認やからね。ここで重宝がられている個性は何やねん?!って感じよ。明らかに意味のはき違いにしか過ぎないわけ。世の中に1個しかないバックとか時計とか物には反応はあっても、こと感覚が関わるものには個人のしっかりとした価値観がないと偽者も本物も見分けが付かないでしょ。感覚を研ぎ澄ます方法は人それぞれだけど、明らかに自分を日常から厳しい状況に置くことはとても大切やわ。
ぐっと我慢したときに相手に向かう方向とそれとは逆に自分に向かうものを分岐させて、ここから内面に来るときに捉えられる意識の強さ。とにかく表現者は繊細な感覚は持つべきだけど、意識の強さは絶対に必要よ。そしてこうした表現者が沢山現れればきっと自然と繋がってゆくしね。
今の所音楽での繋がりはなかなかないけど、ARTな面々とはART談話で盛り上がってるもん。作者は作品が全て。作品を見れば全て分かる。そんな風に色々なものに触れ、ジャンルを超えて魂を揺さぶるものの探索をし続けてゆく事が、自己内面の起伏を活発化し、刺激され自己と向き合う作業にもまた熱が入るってところやわ。オリジナリティーはやはり感覚的才能の賜物であって、努力によって培われる要素は実に少ない。よほどの衝撃的な何かがないと自分を自ら打破出来ないでしょ?才能に関してはナルシスト的な思いを持っているおめでたい人も中にはいるけど、他者からの発見によって改めて自覚する場合が多いよ。とにかく創造は続けるこの意識は初期の段階から自分の腹に括った方がええやろなぁ。